【エクボの独り言 第9回】 全12回連続で「エクボ」の中のことをお話してまいりましょう。
【決めたら迷うな ⇒ やり残すな】
何をやってもうまくいかない。どうしてこんな苦労をしなけりゃいけないんだ。
そんなことを、一度や二度は誰でも思ったことがあるのではなかろうか。
私は、かつて母親を介護の後に、看取ったことがある。父親は、病室でだれも家族の居ない部屋で
死んだ。私が駆けつけたとき、むくろになった父親の傍で妹が声もなく泣いていた。
母親は,父の死後、持病が悪化し入院した。私はその頃、仕事でも苦境にあり、急な葬儀の準備も
あいまって、精神的にかなり追いつめられていた。 なんで・・・こんな時に、こんな・・・。そう思った・・・。
母親は、不治の病と宣言され、病院からはベッドを早く開けて欲しいと要請された。
すでに2つの病院を転々としていた。
悪性リウマチは、即、死ぬわけでは無いので・・・別の病院へ行ってほしいと言われたのだ。
私は、自宅で「介護」することを選んだ。家族には本当に協力してもらった。申し訳なかった。
だが、これ以上、母親に寂しい思いをさせられない・・・。それに、もう後悔したくなかったのだ。
介護は、経験すればわかる。生半可ではできない。
糞尿の始末や、褥創(じょくそう)の手当て・・・夜間の幻妄(げんもう)のなだめ・・・。
いっそ、このまま全てが終って・・・とさえ思ったこともある。
でも、ある日、腸閉塞が起き、緊急入院をさせなければならなくなったある朝のこと。
私は、必死で母親の生を願っていた。
数日後、母親は、私の手の中で(入院先のベッドの上で)・・・息を引き取った。
安らかな「死顔」だった。 窒息し、まっ黄色になっていた父親の顔とは大違いだっ た。
意識など、とうになく、何度も心臓がとまっては息を吹き返した母親は、私が会社から駆けつけるまで
なんとか生をつないでくれていた。瀕死の母親の頭を抱き、「今来たよ・・・おそくなってごめんな・・・」
その時、すでに理性では何もわからない筈の母親の唇が、明らかに、言葉を発しようとして動いた。
「・・・」・・・間近の私には、唇が語りかけた言葉が、はっきりと見えた。
その後、大きく息を吸ってのけぞると・・・ついに心臓は動かなくなった。
妹が言った。「おにいちゃんがくるまで、3度も息を吹き返したんだよ・・・」
私は母親の顔を見つめていた。その動かない唇が、つい今しがた・・・私に伝えた言葉は・・・。
「・・・ありがとう・・・」・・・だった。
葬儀が終わり・・看病した自宅に戻り、主の居ない介護ベッドに手を置いたとき・・・私の中の数十年の
思い出が一気に目から溢れ出していた。「ありがとう」と母親は最後に言った。・・・でも、私は、本当に
親孝行出来たのだろうか・・・。 いや、迷うまい。それが、最後の言葉を残してくれた 「母親」への
本当の恩返しかもしれないのだ。
清水美裕