【エクボの独り言 第2回】・・・全12回連続で「エクボ」の中のことをお話してまいりましょう。
【発想の転換=NO.1?】
否が応でも、ある年齢になると放り込まれる「競争社会」。
しかし、競争とは「勝つ」「負ける」という価値観を身につけさせるもっとも効果的な手段である。
私は競争社会ではいつも落ちこぼれだった。動作がのろいのである。
幼稚園でみんながとっくに食べ終わったお弁当の蓋をしめているとき、先生が
「それじゃあ皆さん、ごちそうさまを言いましょうね」
という時、わたしはこっそりまだ半分近く残っている自分の弁当箱の蓋を、誰にもみつからないようにそっと閉めようとする。・・・すると、どこでもいるおせっかいな女の子が、私の手をガシッと掴み、
「先せ〜い。清水君、まだ残してますよ〜!」
弁当箱の蓋を持った私の手が、私の意志とは関係なく空中で揺れていたことを、今でもおぼろげに
思い出す。
中学生になっても私は競争が苦手だった。
公立の中学だった私は否応ナシに高校受験をしなくてはならなかった。
私は、試験が嫌いだった。
だが、紆余曲折を経て、25歳を過ぎた頃、私は熾烈な競争を闘ってきた自分を意識したが、
それでも競争で「勝つ」ということが目標にはどうしてもならなかった。
あるとき、私は、自分がかわいがっていた「飼い犬」を亡くした。
フェラリアという寄生虫が、心臓いっぱいに増えてしまっていた。苦しそうだった・・・。
死の直前、彼は家の中で部屋中をフラフラとあやしげな足取りで歩き回った。
止まらなかった。休むことを拒否していた。
私が休ませようとしても、苦しがるだけだった。そして彼は私の手の中で死んだ。
私たちは、競争を強いられる。時には動物にさえ競争を強いる。競争は社会の基本原理だ。
それは否定しない。
しかし・・・。
競争が目的になってしまうことに私は大きな疑問を感じる。私の「グズ」な幼児体験も、私の手の中で
逝った私の大切だった友達も、他の何に替えられると言うのだろう。
私は、替えが無いものを「知る」努力が、人の指導には大切だと思っている。
誰一人、替えはないのだ。・・・ならば、「ONLY ONE」ではないか。
誰もが「ONLY ONE」なのだ。
自分の価値は自分で見つけるべきだと私は思う。・・・けれど、誰もが「ONLY ONE」であることを、
誰もが「認める」ことから、本当の意味での「競争」が始まるのではないだろうか。
競争は「No.1」をきめることではない。
達成に、終わりがないことを知る者が「自分」で「自分」を向上させる行動をしつづけることが、私は、
「私たちの競争」だと、いつも社内では話しつづけている。
清水美裕